20171119香嵐渓サイクリングSCC の巻
2017年11月19日(日) 朝は晴れ 午後は曇り雨
久しぶりに、SCCのサイクリングです。
行先はこの時期定番の紅葉観光ですが、香嵐渓あたりですと車では行かないほうがいいですね。
理由はもちろん渋滞です。
ですから、自転車はとても良いアイテムなのです、そして良いサイクリングコースでもあるのです。
集合時間は水源緑地公園に9時
ですので、自宅は普段よりゆっくりめの8時に出発いたします。
今日は豊田マラソンの日でして、晴れてよかったですね!
会場となる豊田ドームはもう賑やかになってきたのかな?
さほど急ぐこともなく集合場所の水源緑地公園へ時間前に到着です。
メンバーも時間通りに集まりまして、時間通りに出発です。
香嵐渓にも渋滞の車を横に見ながら、予定通りに到着です。
天候もいいですね!
もちろんこの時期の人出はいっぱい・・歩道いっぱい、屋台通りもいっぱいです。
ちょっと上に目線を向けると山の紅葉が綺麗ですね。
天候もいいです、観光客の出足も順調すぎるくらいいっぱいです。逆光だとよくわからないですね。
kaseyさんより折角なので、お茶を飲んでいこうと提案がありまして
茶屋へ向かうことにいたしました!
先客さんが多くいらっしゃいましたが、受付してから中へ・・・
もしよければ茶室で・・・・と誘われましたので、折角なので誘われるままに
こちら助庵で頂きます。
時にはこういうのもいいですね!
お菓子もお茶も美味しく頂きました、ご馳走様でした、ありがとうございました。
写真はの無作法は、許可を頂きました。
茶室外の景色も川のせせらぎと紅葉の色づきが良い雰囲気です。
軽トラがちょっと邪魔です。
やっぱり香嵐渓の散策もしなくちゃね。
見上げた空と紅葉のコントラストがいいですね。
足助屋敷周囲も賑やかです。
三河地方では有名な棒の手の演武が催されていました。
見ていても楽しいです。
今年の紅葉はきれいに色づいたのかな・・・夜のライトアップもいいですけどちょっと寒さを覚悟しないとね。
そろそろお昼 どこぞやでランチでも・・・と思いますが、この人出!
以前、行ったことのある げんき食堂チュン へ
満席覚悟で覗いてみると、ちょーど席が空いた時ですんなり着座できました。
お腹が満足した後は足助城までヒルクライム
みんなで記念写真!
帰路のR153を少し外れて旧道に入ると、野口雨情の碑があります。
童謡 七つの子 が刻まれています。
ウィキペディア(Wikipedia)参考
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原村(現・北茨城市)出身。廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に学ぶが、1年余りで中退、詩作を始める。1905年(明治38年)処女民謡詩集『枯草』を自費出版。1907年(明治40年)三木露風、相馬御風らと共に早稲田詩社を結成するが、その後暫く詩作から遠ざかる。
1943年(昭和18年)軽い脳出血で倒れて後は療養に専念。
1945年(昭和20年)疎開先の宇都宮市近郊で死去。
代表作は『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』『しゃぼん玉』『こがね虫』
『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。
他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原村(現・北茨城市)出身。廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に学ぶが、1年余りで中退、詩作を始める。1905年(明治38年)処女民謡詩集『枯草』を自費出版。1907年(明治40年)三木露風、相馬御風らと共に早稲田詩社を結成するが、その後暫く詩作から遠ざかる。
1943年(昭和18年)軽い脳出血で倒れて後は療養に専念。
1945年(昭和20年)疎開先の宇都宮市近郊で死去。
代表作は『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』『しゃぼん玉』『こがね虫』
『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。
他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
この後、気になっていた空から雨が降ってきまして、慌てて雨宿り・・・
その後、小降りになったところで走り出し皆さんとお別れして無事に自宅まで・・・。
到着した時には、雨がすっかり上がっていました。
今年の紅葉サイクリングは、これが最後かな。
60キロ程度の良いサイクリングでした。